- 2006年4月13日 23:59
- 参考本
この本は狂言とはどういったものなのか? どういう表現方法なのか? について書かれていています。
そもそも狂言は、基本的には感情移入というほどの感情移入はしません。狂言では、感情というのは事柄としてあって、型といっしょにセットになっているものです。型のなかに悲しいという型があって、その悲しみの型にエネルギーを注ぐのです。
一般に、能楽は「静」のイメージでとらえられることが多く、止まっていたり、ゆっくり動いていたりといった印象を持たれることが多いと思います。しかしながら、実のところ、「止まっている」のではなく、「とどまっている」のであって、エネルギーが頂点に達すれば、激しく動くこともあります。
などなど、「なるほどぉ」とうなずいてしまいます。またこの本では狂言の演技は「序破急」であり、その「序破急」とは何か? というのを車のギアチェンジにたとえてわかりやすく述べられています。
「序」はローギア。思い車体を動かしはじめるためには、大きなエネルギーが必要です。同じように、スピードとして表面には表れにくいけれども、非常にエネルギーを使い、力を矯めながらゆっくり動いているのが「序」です。それがだんだん発散され、ぐっとスピードを出すセカンドギアが「破」、エネルギーが大きく発散されるところが「急」です。
難しい題材をクリアしていったり、狂言以外のジャンルに挑戦していって、その経験をまた狂言に還元していく、といった話の展開がとてもおもしろかったですね。
また、演劇、ドラマと狂言の表現法の違いなども興味深い話でした。
狂言ではアップになることはありませんから、目を使うことはありません。目で何かを表現するというのは、いちばんいけないことなのです・・・全身やことばで表現するべきで、目を見開くことによって表現するといったことは、いちばんの邪道なのです。
狂言でいいなと思ったのは、身体的表現も重視しているところでした。衣装や装置に頼らず、アクロバティックな身のこなしだけで何もかもを表現してしまう身体表現の技術が狂言では必要とのことです。
パレエを観に行って、身体表現というのはとても重要な要素だなぁと思ったので、狂言も観てみたいとあらためて思いました。
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